プログラミングと承認欲求の関係

ご無沙汰しております。anyの城下です。

7月に入りほとんどの学校が再開されていますが、時短や時差通学だったりとまだまだ100%に戻った訳ではないのではないかとお察しいたします。

普段の授業を受けることさえままならない時期ですが、そんな状況のなかでプログラミングを学ぶ意味や価値ってなんだろうと考えていました。

プログラミングを学ぶ価値=集中できる多幸感

プログラミングを学ぶ付加価値として、まず挙げることができる点は「生産性の向上」といった時代のニーズに合わせたスキルアップです。

プログラミングスキルの価値①:生産性の向上

もしプログラミングがかければ、日々の煩雑なルーティン作業は全てプログラミングに任せ、クリエイティブなことに時間を割くことができるようになります。すると、日々の生活の中でも「これはプログラミングで解決できるな」「これは同じことの繰り返しだから人間でなく機械にやらせればいいな」という判断がつくようになります。この判断の繰り返しによって、やらなくてもいいことが見えるようになり、本質的な問題点を探ることや解決するための方法論を考えることに時間が避けるようになります。

プログラミングスキルの価値②:集中できる多幸感

もう一つの価値として「集中できる多幸感」を挙げたいと思います。ジョギングでいうランニングハイのようなものです。

プログラミングはかなりの集中力を必要とします。

anyに通う小学生は、授業が終わると少しグッタリするぐらいです。プログラミングをする際に集中して気づいたらあっという間に授業が終わっていた・・・ということも多々あるのですが、このような集中状態になること=ゾーンに入ること、その状態になることが一つの面白さや楽しさに繋がっていると考えています。この「集中できる状態」が、今の子供たち(または大人たちも?)を承認欲求から解放してくれると感じています。

つまり、プログラムを書くことは、他人や結果に依存しない幸せの形を子供の頃から持つことにつながるのではないかと感じています。

もちろん、これはプログラミングだけに限りません。スポーツや将棋や読書(もちろん勉強)も含めて、結果や自分以外の人の反応に踊らされない「集中できる何か」を子供時代に体験できていることはその子にとって一つの自信に繋がるのはないかと感じます。

しかも、プログラミングスキルはそのまま職業やプロダクトやサービスといった社会のニーズに直結しており、学んでおいて損はないのかな〜と思う今日この頃です。

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