登戸事件を受けて

2019年5月に神奈川県川崎市多摩区の登戸駅から目と鼻の先にある場所で、凄惨な事件が起こってしまいました。亡くなられた方、怪我をされた方、そのご遺族やご友人の方の気持ちを考えると、胸が締め付けられる思いです。

プログラミングコンテストを目指す教室any

この事件を受け、私がまず知りたいと思ったこと

それは、犯人・岩崎隆一氏の生い立ちでした。そして、その生い立ちがあきらかになるにつれ、「やはり、そういうことか」というやり場の無い思いが湧き上がっています。

どうやったら子どもたちを守れるのか

カリタス学園の保護者の方がメディアの前でとても印象的なことを語っておられました。

「私たちは、どうやって子どもを守ってあげられるのでしょうか。」

その言葉には、落胆と諦めと混乱が入り混じっているように感じ取れます。一方で、「このような事件を起こさない道はないのか」と、問われているようにも感じました。

このような事件が起こると、「犯人」と「私たち」の間に大きな壁があり、犯人は私たちと全く違う人間、全く相容れない存在、と捉えてしまいます。それは至極自然な反応だと思います。

しかしだからこそ、私たちの中にある犯人との類似点に注目することに価値があると思います。歴史を繰り返さないために、今までとは違った目線でこの事件を考える必要があると思ったからです。

私たちの中にある、犯人との類似点

犯人と私たちの類似点。それは、「自分を大切にして欲しい(愛して欲しい)」と言う気持ちから派生した怒りや悲しみ、そして落胆ではないでしょうか。

この落胆には、2つあると思います。一つは自分への落胆、そして世間(家族や社会)への落胆です。そして、大人であることを理由に、その落胆は自己責任と言うくくりで隅へ追いやられてしまう。

犯人と私たちの道を分かつものは何でしょうか。思考の違いなのでしょうか。私には、「環境の違い」が大きく影響しているように感じてなりません。

親としてできること

私は2人の子供を持つ親です。

今回の事件を通して、親として「子供に愛情深く接すること」の重要性を突きつけられたように感じます。これは一言で表すなら、「You are OK.」の精神ではないでしょうか。「あなたの人生はあなたの為にある、あなたの自由にしていい。」

愛情深く接するとは、話を聞き、受け入れ、贔屓することだと思います。つい、スマートフォンを片手に上の空で子どもに対応してしまう私にとって、猛省するポイントでした。

また、親が自分を犠牲にしない、もっと言うと「自分の人生を生きる」事が大切だと思います。「You are OK.」の精神は、「I’m OK.」から派生すると思うからです。「私は私の好きな人生を謳歌しているよ、あなたも自分の好きな人生を謳歌していいよ」と背中で伝えられたらいいなと思います。間違っても「誰かの決めた指標に縛られて生きづらい人生にしてはいけない」と思うのです。

一人の人間としてできること

そして、一人の人間としてできることもあると思います。それは「弱みを見せること」「排他的にならない」「挨拶をする」です。

「弱みを見せる」とは、自分が自分の弱みに寛容になる状態だと思います。「完璧じゃなくったっていい」と自分で自分をありのままに認めることで、他人に対しても「完璧じゃなくったって当たり前」と思えるようになったら少し楽になるように感じます。この感覚は、「排他的にならないこと」に繋がります。

「排他的にならない」とは、自分と違う人に寛容になることを意味しています。しかし心の底から寛容になる為には、相手のことをよく知る必要があります。排他的な気持ちは、「何だかよく分からない」から生まれるように感じるからです。こうして書いていますが、もぉ、これが難しくって仕方がありません。自己鍛錬の毎日です。

最後に「挨拶をする」について。私の勝手な考えですが、気持ちの良い挨拶はそれだけでギフトになると思っています。「You are OK.」を気軽に体現できる素敵な方法だと思います。

それから、挨拶は自分の心のバロメータになっています。気持ちの良い挨拶ができているときは心が元気、できないときは心が弱っている事が多いです。心が弱ってるなぁと感じたら、できるだけ自分を甘やかすようにしています。甘やかす方法としてもっとも多いのは「ご飯を作らない」です。

最後に

私は小さなプログラミング教室をやっていますが、定期的に「クエスチョンカード」を配っています。その理由は、個性を尊重する(=お互いの違いを寛容し合う)空気を醸成したいからです。

クエスチョンカードの内容を一部紹介します。

  • 自分の強みは何ですか
  • どんな時にストレスを感じますか
  • どんな分野で活躍したいですか  …など。

このカードから生徒さん一人一人の個性を知り、尊重するだけでなく、各々の「好き・得意」を育める場を提供できたらと思っています。

そして、「自分らしくいる事が受け入れられた」という体験が積み重なる事で、「他人にも寛容になる」心の土壌ができ、それらの広がりが「自分らしく生きやすい社会の礎」になってくれれば…と願っています。